車窓からの情景に思う
  つい先日の早朝、国道五七号線を車で走行中に思いもかけぬことに出会いました。私の前を走っていた車から空き缶が投棄されたのです。しかもそれは道路の左側へではなく、運転席側からで、道路の中央部に転がって行きました。
 驚きました。こんなことをする人間が居るなんて信じられませんでした。どのような者が乗っているのか、リアウインドウに黒いフイルムが貼ってありましたので確認できませんでしたが、車種から判断すると若者達が乗っているのではないかと思われました。怒りの感情の後に、何だか遣る瀬無く物悲しい気持ちになりました。
 運動のためによく江津湖畔を散歩いたしますが、熊本市公園管理課が設置している公園使用上の注意書きの看板に黒のスプレーで毒々しい落書きが吹き付けられています。駐車場には遺棄されている車を数台見かけます。また、東バイパスでは、暴走族のけたたましい騒音のため、安眠を妨害される人々からの苦情が絶えません。これ等には公徳心の欠片すら覗うことは出来ないのです。
 この様に全く他人のことを考えない自分さえ良ければよいと思う人間が犯罪予備軍となるのだと思います。最近、自分の都合で簡単に人を殺すような事件も多発しています。暗くて嫌な世の中になったものだと思いますが、希望が全くないわけではありません。
 ある日の夕方、信号機のない交差点で、道路を横断するために手を上げている二人の小学生男子を見かけました。停車すると歩道を小走りに横断し、二人同時に私の方を振り向き深々とお辞儀をしてくれました。思わず微笑み返しましたが、こんな子供たちが多く育てば日本の未来は明るく、満更でもないなとしみじみ思いました。
 学校に於ける道徳教育に大いに期待したいと思います。

 この記事は熊本教育評論の会から寄稿依頼を受け、「教育評論」11月号(通巻436号)に掲載されたものです。
by bukkin | 2005-10-26 16:26 | 思考・愚考


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