還暦同窓会に招かれて                      
 私の最初の生徒から同窓会の案内がありました。あの生徒達が中学校に入学した年、私は新任教師として赴任したのです。

 早いもので、あれから四十八年の歳月が流れました。その当時、天草郡有明町に五校も存在した町立中学校が、五年後には統合により、東西の二校となり、更に本年度から一校に再統合されましたので私の最初の勤務校はもう存在しません。

 故郷で還暦同窓会を開催するので是非参加してくださいと案内を受けた時、嬉しくて飛び上がりそうな気持ちになりました。

 思えば、新米のおよそ教師とは言えないような私を、「先生、先生」と呼んでくれたあの生徒達の初めての同窓会なのです。この学年は、中心となる者が卒業後郷里には一人も残らず、多くが関西方面に就職して行ったために、天草で同窓会を開催することは、卒業後一度もなかったのです。

 私に教師としての魂を入れてくれたのは、この最初の生徒達でした。長い教職生活の中で決して忘れることのなかった生徒達です。

 昭和三十三年のある秋の日曜日、数名の生徒が私の下宿に集まり、皆で松茸狩に出かけました。若干の収穫はありましたが、その喜びもさることながら、真っ赤に燃えた大きな太陽が島々を背景に有明海に沈んで行く雄大な景観に出会った事を未だに忘れることが出来ません。

 思わず皆で、「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・・」と合唱したことが脳裏に焼きついています。その時しみじみと教師としての生き甲斐と責任感を自覚しました。

 それ以後、生徒と共に、生徒のためにと言うことを絶えず自問自答しながら定年を迎えました。

 平成十七年正月二日、三年間担任をした私の最初の生徒達に四十五年ぶりに再会する事を思い、今、胸を膨らませています。

※ 以上の文は熊本教育評論の会月刊誌「教育評論」一月号に掲載されたものです。
by bukkin | 2004-12-28 10:50 | 思考・愚考


<< 年金改革の話 7 キャンディとタロー >>